2011年12月24日土曜日

今日は誕生日

俺もとうとう38才になった。
このまま三十路ロードを突っ切って、40代こそドカンと花火を打ち上げてくりょうぞ。

2011年8月2日火曜日

たのしい電子工作?

地震に引き続いて福島で起った最悪の原発事故から早や五ヶ月。
あの混乱の三月に関東東北に舞い降りたエンジェルダストの見えない恐怖におののいた俺は、直ぐさまネットから情報を検索して、放射線検知器の制作に着手した。
まず、塩化ビニール管をナイロン等の繊維で擦り合わせる事により発生する静電気を、プラスチックのコップとアルミを利用して作った簡単な蓄電池に、カメラのフイルムケースにライターの燃料として用いられるブタンガスを注入充満させたガイガーミュラー管もどきに接続し、ラジオのノイズで放射線を感知する簡単な物を作ったが、これがまったく無反応。うんともすんと言わず、ただ塩ビ管を虚しく擦り過ぎて肩の筋を痛め、次の日の仕事をつらくしただけであった。

だが、俺は諦めずに軽やかに次の手段へ蝶のようにシフトする。
使い捨てカメラを使ったより高度な放射性探知システムの製作である。
だが、それには素人の手作りのGM管もどきなどではもはや用をなさぬ。本物のプロの仕事をするGM管が必要になるのだ。
俺は、ヤフーオークションで、冷戦時代にロシアで実際に使われた小型のGM管を落札。入札のボタンを押した時、俺はにわかにロシア兵がツンドラの森林の中のミサイルサイロで、孤独に飲むウオッカの匂いをかいだような気がした。
ネットを散見して、幾つかの使い捨てカメラを改造する手だてを学ばして頂き、久しぶりのハンダ付けに挑む。松ヤニの煙にむせながら(うそ)何とか一号機を、感電(500vくらいあるのでビリビリというよりも、物理的な鈍痛に近い)しながらも完成させGM管を取り付けた。節電対策で部屋の照明を極限まで落とした、まるで灯火管制のような暗い室内で、それは、まるで命のようにポッと灯った。やった反応したのだ。何らかの放射線をこの子が見つけてくれたのだ。これでもう大丈夫。俺はもう死神の鎌をよける事が出来るのだ。ルンルン気分で棒の先に取り付けたGM管を得意げに掲げてアパートの周囲を測定しまくったが、どうもその反応にムラがあるように思えた。何かがおかしいと思っていると、GM管の中央部のコイルが赤く光りぱなしになっている事に気がつく。いかん連続放電だ!しらべて見たら、電気がGM管を流れ続けないように、必要箇所に抵抗をつけないといけないと分かった。次の日おれは直ぐさま秋葉原まで行き、電気部品の謎に満ちた記号や複雑怪奇な種類に目を回しながらも何とか購入して帰宅。さっそくとり付けてみたが、どうも調子が思わしくない。どうやら、GM管の感度が大幅に下がったようである。連続放電でガラス管内部のガスがおかしくなったのかもしれない。俺は、流石につかれ果て、一時ガイガー計画を中止する事にした。一つには予算を使い果たしたというのもあったが。
それから3ヶ月、なるべく被爆量を減らすように努力しつつも、清掃というバイトゆえに、集塵をせねばならないので、必然的に放射性物質との近しい立場に危機意識を持つ。今の俺の環境は大丈夫なのだろうか?という懸念から、ふたたびガイガープロジェクトの旗を掲揚する事にした。
今度は、最初から確実に機能する物にしようと、国内の完成品やキットを探すも、品切れや在庫なしと来た。では外国だってんで、アメリカの電子工作のサイトから円高の追い風に乗って、アルファー、ベータ、ガンマを検知出来る小型放射線検知器のキットをドキドキもので購入。幸いな事に騙されるような事もなく、数日後には荷物は到着。さっそく製作にかかる。

当然ながら英語で書かれた組み立て説明書と格闘すること3時間。脳細胞が熱をもってグラグラして来たが、ハンダをびゅんびゅんと振り回して大奮闘し、ほどなく完成!早速スイッチを入れてガイガーちゃんの産声を聞こうとおもったが、どうも反応が芳しくない。はて?と思ってテスターという電圧などを計測できる機器でGM管の+と−を計ってみたら50ボルトくらいしかない。ばかな、説明書(英語だから読めない)には600ボルトと書いてあったじゃんかよう。どこかハンダの接触不良でもあるのだろうか?と色々とやってみたがどうにも分からない。ここですぐに思考が飛躍するのは、九州人の悪い癖で、部品が何らかの原因で不良をきたして動作出来ずにいるのだと考えて、それを取り替えれば、動作するはず、しかし私の知識では、その当該箇所の特定は非常に困難である。で、ここで「では、全部取り替えればいいじゃない」とアントワネット的に飛躍する。
だが、折しもアートブックフェアの期日が迫ってきており、まだほとんど製作出来ずにいた、俺は加熱したハンダのコンセントを抜いて、鉛筆を握らなければならず、泣く泣く(えっ)ガイガープロジェクトから離れたのであった。
そのアートブックフェアも終わり、猛暑でやや夏バテ気味であった俺は早速、あの奇妙な電子都市アキハバラへ飛ぶ。平日の昼間にも関わらず、がさがさと道を行き来する男たちと、奇抜な衣装で客引きをするかわいいメイドさんたちを躱しながら、主に電子部品をお店を何軒か梯子して、ガイガーキットに使われている部品のかなりの数を手に入れる事が出来た。何分素人である為、どうにも説明書に書かれたアメリカ人の大雑把な部品の説明だけでは理解の及ばぬ所もあって、購いかねる物も幾つかあったが、それは当該機からの部品を流用する事にして、汗と埃にまみれた体を地下鉄のシートに委ねて帰路に着いた。
次の日、さっそく改修に取りかかる。まず全てのハンダを一度吸い取り線と呼ばれる銅を細かく編み込んだ線で吸い取って、基盤上に付けられていた備品を全て取り去る。そして、抵抗、コンデンサ、ダイオード、LED、トランス等を取り替えられるものは全て取り替え再びハンダで接合。
今回は勝手が分かっていた為か、一時間ほどで作業完了。さっそく電池を繋いでスイッチを入れて見る。そして再びテスターで計ってみたが前と変らない。何故だ?だがネットで色々と検索していた時に、このキットはどうやら写るルンですを改造した放射性感知機が直流だったのに対して、どうやら交流がGM管にかかっているらしく、もしかしたら測定に仕方に問題があるのかもしれないと考えルに至った。と言う事はもしかしたら、これはこれで完成していて、俺はいつもごとく早合点して、無駄な時間と労力とコストを消費したのでは無いかと愕然とし、急いで鏡を覗き込んだが、幸いな事に額には”敗北”の文字は刻まれていなかったが、それでもやはりその顔は勝者には見えなかった。
その放射能測定器は、スイッチを入れていても自然放射線の検出は一分間に一つか二つ程度であり、非常に大人しいものだったが。。。。

購入したアメリカのサイト

この趣味と実益を兼ねたプロジェクトもようやく一段落ついたので、そろそろ本業のほうを何とかしねえと、今度はお前自身がメルトダウンだぜという脳内物質が分泌されたので、またがんばろうと思います。人が生きる事、存在する事は意味があるのか無いのか?という形而上の問題は、取りあえず一旦おいて、何もしなかった日の夜寝る前、朝起きる時に感じる、あの罪悪感のような物は、確実に内蔵的に形而下的に存在しており、あのいやな気分に対処するには、実際にいい仕事をする為にがんばる他はない。結局の所、人は、いや俺はそんな程度のものであり、またそれをため息をつきつつも認めて前進するしかないのだろう。魂の安息があるとした、与えられた俺と言う人間(ゲノム)の能力の限界に出来うるだけ近づきえたなら、たとえ倒れふしたしても、ほかならぬ俺の魂は俺を許してくれるに違いないのだから。

2011年7月13日水曜日

TOKYO ART BOOK FAIR 2011 ZINES MATE用のジン完成(ほぼ)

今年で三回目であるアートブックの祭典、ジンズメイトが今週末から千代田区のART3331で行なわれる。
去年は、半年の歳月を費やしてオールリトグラフで無駄にがんばったが、反応はまあイマイチでした。去り行く猫が途中でちらっと振り返る的な感じとも言えようか。まあちょっと to muchだったもんね。

さて、今年は製作時間が2ヶ月弱と短かったため、去年の20ページを大幅に下回る12ページというショボサではあるものの、最近俄に描く事の情熱が再燃しつつある俺が、四畳半の部屋で酷暑にドロドロと溶けつつ、鉛筆で描いた幾つかのイメージ群。
それをパソコンで細工してハイスペックレーザプリンターで出力した珠玉の名作を、さらに引き回すように製本し、この惑星の大気に放つ。
まるで香る様なとまでは、むろん至らないが、男37才の仕事としては悪くは無い様な気がすると、己自身のねぎらうに足りうる程の作品には、なり得たような所感を持たぬでもない。

いささか、失敗したので、明日、もう一度出力でねばならないが、最早峠も半ばを過ぎて下りに入った。あとは転げ落ちるのみさ!あれ?

2011年6月12日日曜日

健康行き各駅停車

最近は健康に気をつかって野菜を多く取る食事が多くなった。
米も白米に玄米を混ぜて炊いている。これがなかなかうまい。
夜も10時過ぎには床に付き、七時間睡眠を心掛ける。
毎朝の清掃のバイトも程よい運動であり、体型の維持の一助ともなる。
一日の生活はパターン化して陽の傾くのは早い、だが仕事ははかどる。
ほとんど人とも会わず話さずだが、ものを書く事で言語能力の低下を防ぐ

2011年6月5日日曜日

博物画的に

日曜の陽も傾きつつある中、炊煙がほのかに我が方丈に香っている。
今日も残りあと僅かだ、案外仕事がはかどったので気分が良い。


近頃、こつこつジンズメイト用の絵を鉛筆で書いている。リトグラフでの製作を断念し、鉛筆とアドビイラストレーターを用いた似非リトグラフで作る事に決めると、現金なもので、とたんに気が楽になった。
イラストレーターは、オフセット印刷、つまりリトグラフが元になっている。だから手法が先祖返りというか、逆温故知新というか、ポストモダンというか、今の技術で過去ぽいものを作るのは楽しいもんだ。
西洋には博物画っていうジャンルがある。それはまだ写真が生まれていない、もしくは発達していない頃に、植物や生物、建築や機械なんかをリトグラフや銅版画で詳細に描いて彩色印刷したものだ。今も多くが残されているけど、その細密描写と美しさには瞠目してしまう。
今回は、そういう博物画っぽくレトロでフューチャーな絵を描いてみようと考えた。
鉛筆画で細かく描画するので、電動鉛筆削りは必携だ。元は電池で動くんだけど、秋葉で部品を買ってきてAC電源で動くようにした。通常6Vの電圧で動くモーターに10Vの過電圧を加えると、若干ケミカルな煙が上がるが、研ぎが鋭くなってロケンロール!。






2011年5月29日日曜日

髪騎士

慌ただしさの中で春は瞬く間に過ぎ、気がつけば窓辺から聞こえるのは梅雨の雨音。
日曜の朝の雨は悪くない。何処にも行く予定が無いと言う条件がつくけど。
もちろん今日は何処にも行かない。一日家で絵を描いたり文章を書いたりして過ごすのだ。
昨日、お菓子や果物を買ったおいたので、口寂しいという事にはなるまい。

部屋には時計がない。おかげで常時視覚的な時間の刻みを感じられず、トロリとしたゼリーのように流動化した時の中で、そこそこに怠惰な無自覚な生を送る事が出来る。
一日は象のように案外早い。アフリカにも四畳半にも等しく奴らはいる。

よし雨音を肴に昼間から日本酒を呑もう。それは甘いピストルの味だぜ。


そういえば
神奈川県は小田原も手を伸ばせば届きそうな所にある渋沢という場所で、豆版画のグループ展が今月の始めより行なわれている。僕も一応参加させてもらい、四点程出した。
先週の好天を突いて電車に乗って行って来た。たまには遠くに行くのもいい。まじかで山の連なるを見ると、当たり前に衝撃を受ける。
展示場はブラッスリー千元屋という、イタリアンとフレンチを出すレストランの中に併設されている展示スペースだ。何十名もの版画作家の作品が所狭しと並べられ、明るい店内で賑やかに並んでいた。
その後、お店の人たちに、午餐のテーブルに招かれ酒食をごちそうになる。こだわりのない人達だった。さらに近くのギャラリーで面白いのをやっているから、一緒に連れて行ってもらう。
この辺は都下から遠く近くにあり、家賃も安く芸術家が多く棲んでいるとの事。
地元と美術が寄り添っているように感じられた。


アートブックフェア用の、作品のイメージもようやく目星がついてきた。
今回は、髪にしようと思う。

題名は La cheveulier あたりにしょうと思ってる。髪騎士いう意味の造語。
今回はオールリトグラフは無理だけど、綺麗な本にしたいと思ってます。

2011年4月12日火曜日

放射性物質に備えよう

これから長い事、付き合って行かなければならない放射性物質。

非常に小さくて軽く、何処にでも飛んで行き、食べたり吸ったりしようものなら内部で常時放射線を出し続け、細胞の再生の遺伝子情報を破壊する嫌な奴ら。
これからは一家に一台ガイガーカウンターを常備する時代に突入する訳だが、まだ手に入りにくい状態。とりあえずネットなんかから独自に情報を入手して自己防衛をして行かなければならないですね。政府、官僚は基本的に信用出来ないのは歴史の証明する所であるので、俺としては話半分に聞いてます。検査とか、はやく第三者機関が機能してくれればありがたいんだけどなあ。

関東だけじゃなく西日本の人もこれからは風向きによる放射性物質の飛来による水道汚染や食品汚染、また東日本からやってくる産地偽装食品などと戦って行かなければならないから、チェックしておくとよござんす。

俺が今、重宝してるリンク集

すごく分かりやすいブログ。この人、安全ならば原発OKの人
だから逆に、信頼出来そう。
武田邦彦 (中部大学)

福島第一の状況。放射能濃度、圧力、風向きによる拡散シュミレーション、水道などの情報が見れます。
全国の放射能濃度一覧

東京日野で、個人的にガイガー観測をネット公開してくている関東の恩人
俺も、3月15日は、ネットで見て被爆を軽減できて助かりまった。
ナチュラル研究所
この人と同じシステムを導入した人たちのリンク
関東近辺の個人の観測点

公式、非公式を問わず、全国の放射線濃度が見れます。
東北関東大震災・非公式・放射性物質モニタリングポストMAP

IAEA
有志による、IAEAの発表を日本語約にしてくれてるサイト


やっぱ、なんだかんだ言ってもニュー速は便利。
2ちゃんねるニュース速報

レベル7の世界で

福島がとうとうチェルノブイリクラスの原発事故である事を政府がようやく認めた。
諸外国からの突き上げに動いたと言うよりも、ようやく夢から覚め始めた所なんだろうか。
これは現実に起っている事で、事態はなおも進行中。千年万年単位のライフサイクルの破壊だ。
日本人は昔から現実逃避の傾向があるのだろう。一万年も続いた縄文時代の変らない日々の記憶が染み付いているのだろうかね。
今回の災害で、日本人の良さと悪さが浮き彫りになったような気がする。それはよくも悪くも諦観のようなものだ。天に運を任すというか、ゆだねるというか。そこで目をつむり、死ぬも生きるも、その選択を自らの魂に問わない感じがする。それはある意味潔さがある。生にしがみつくのは美に反するという、日本人の美意識にそったものだろうけど、それは自らの魂の全権を何者かにゆだねる事で、責任回避しているのではないだろうか。悪い事を口に出したら、現実もそうなる言霊って奴だ。未だにアニミズムが根深く文化に根を張っている。もちろん俺も、アニミズムな日本人の一人だ。
そう日本人は、いまだに神を失っていないのだ。
神は可能性を好む。神はサイコロ遊びが好きなのだ。
サイコロ遊びとは、すなわち博打であり、今回で言えば事態の好転に国民の安寧とこの国土を賭けたのだ。だかその掛けに負けた。時に手痛い失敗を犯しながらも、だましだまし何とかここまでやって来た日本民族も今回ばかりは、かなり相手が悪い。人が死に、町が壊れても元には戻る。だが、我々を育んで来た大地そのものを、放射性物質という居座って動かないやくざ者に取られてしまったのだから。
長い年月をかけて、原発利権は政治やマスコミにウイルスのように浸食して行き、今では、我々の元に正しい情報すら届かなくなってしまっている程に成長した。それを助長したのは,彼らの悪魔的な巧妙さもあるが、なんだかんだ言って俺たちの無関心だったのだろう。悲しいかな、この痛みは、自分たちのせいなんだろうな。

未来の子供達に悪い事をしてしまった。
グーグルのサーバーは、タイムカプセルみたいなもんだ。未来の子供らに謝らなきゃな。
おじさんたちは、賭け事に夢中になりすぎて、自分の家も売っちゃったのさ。
すでに神々をバラバラに解体した君らからしたら失笑ものだろうが、可能性を前にして、ドキドキする事に、おじさん達は魅惑されたんだ。わからない事が、うれしかったのかも知れない。
思ってたよりは、人生は長かったのさ。だからついつい、余計な事をしたくなるってもんだろ。
おじさんたちは、いたずらっ子だったんだ。そう途方も無い程のただのガキだったのさ。

2011年3月26日土曜日

三年目のオールラウンド捌き

今春で掃除のバイトも三年目になる。飽きっぽい僕が三年も同じ職場で働く事になろうとは思わなんだ。清掃の仕事は、単調で頭もほぼ使う事もなく、色々と考えごとをしたり、物語を考えたりと以外と創作をする人にはおすすめの仕事です。変わり者が多い業界とも言われ、濃いキャラの人々の思わぬ行動や言動に、人類の凄さを思い知らされる毎日です。

そんな僕が日々磨いて来た、オールラウンドと呼ばれる雑巾に長い柄が付いた道具を使っている姿をお見せしましょう。芸術家の端くれとして、いかに美しく掃除するかを追求してきた、この三年の成果です。



忙しい時は、時間との戦い。いかに無駄無く効率的に、かつ体力を無駄に消費せずに動かないといけない。僕は、体小さい分、体力が少ないので、その分、体の自重を使った慣性を利用して動くのが得意。たとえ放射性粉塵だろうと、拭い去ってやるぜ。

2011年3月22日火曜日

雨降って地固まるか?

冬の厳しい寒さも、幾分和らいで、窓の外に、そそと降る雨の音に、思わず耳を傾ける午後。
ようやく、春だな。まってましたの春だ。

ここ十日ばかり、戦後最大の危機を迎えた日本は、いまだ混乱の最中にあるけど、それでも、人の人生は続き、日本の歴史は紡がれ続ける。

訳のわからん物質が降って遺伝子を破壊しようが、銀行からお金が降ろせないだろうが、史上最悪の政府を持とうだろうが、それでも、俺たちは、生きている。その事に感謝したいねえ。


俺もようやく、やりたい事が分かったんだ。生きられるだけ、作品を作ろう。

それに、またお祭りのような、グループ展がやりたくなったな。
アホみたいな奴がやりたいぜ。

また企画しよう。

ギャラリーであおうぜ!

2011年3月19日土曜日

デウス エクスマキナ 機械仕掛けの神

福島の原発が暴れ回っている。人の力を超えた、制御しがたい不可視の死神が、国土、いや地球を汚染しまくっている。まさか、技術先進国と言われた日本で、こんな事が起るなんて、、、。俺は今でも、なんだか夢を見ているみたいだ。十日前までは、何事もなく、むしろ何か、起きないかなと不遜な事すら考えていた程なのに、状況は、ブレーキの壊れた車で坂道を目隠しされて運転しているようだ。これほど短い間に、続けざまにトラブルが起るなんて、映画のシナリオでさえ真っ青な出来映えじゃないか。映画や夢であればどれだけ良かったのだろう。己の破壊願望を夢の中で結実したのみであったなら、俺の未成熟な部分の発露として、俺の中だけで、幕も引きえただろうに。だけど、実際は、夢を破るのは、体の内奥の芯すら揺さぶる大地の震えだ。余震にも慣れたとはいえ、ゆめゆめ油断は出来ない。東京湾の下で、アギトを研いでる嫌な奴がいるからだ。どうやら、久しぶりの国難の時期にさしかかっているらしい。何十年も、システムが覆い隠してきたものが、今回の地震で露になって剥き出しになったみたいだ。今回の事で、色々な事が変ると思うし、そのようにしなければ行けないだろう。安心してはいけない、想像力を駆使して、恐怖しなければならない。生き残って、やるべき事をやる為に。
それにしても、選挙というものが、場合によっては、これほどの惨禍を生み得るとは、まさに歴史を見た思いだ。
ここで、真の意味での機械仕掛けの神が出て来て、全てをさらっと解決してくれたらどれだけいいだろうか.....。

だけど、みんなも言っているように、やはり日本人には、信じられるものがあると思う。
俺も、今回の事で日本はよりよくなると思いたい。
経済発展や利潤追求だけでは、決して幸せにならないし、うまいやり方でもないと若い人たちも分かっていると思う。大きな家に住む事や、沢山の部下をこき使うよりも、多少不便であっても、自らの魂に合った生き方が出来る社会になるといい。長い時間がかかるだろうが、人類は、近代文明下において個人というものを社会の中で回遊させ始めたばかりだ。きっとうまい手を見つける事ができるだろう。
原発の稼動には、作業員に100パーセントの被ばくが伴うという。いま、この部屋を明るくともしている、電気でさえ、誰かが命を削って作られたものだ。大抵は、出稼ぎの原発にたいしての知識がない人たちで、絶対に安全だと、事前に洗脳に近い教育を受けるという。得られる日給は一万円程度。一日の作業時間は、一日に浴びる放射線量の基準内だから15分とかそんな短時間だから割がいいような印象をうけるけど、それを毎日続けていたら、将来、必ずガンになる。未来を食いつぶしているわけだ。そして、廃液は海に垂れ流し。子孫に処理を押し付ける高放射性物質は溜る一方。老朽化した原発は今も地震のプレートの真上で稼働中。情報隠蔽改竄は日常茶飯事。周辺地域の汚染と差別。ふう.....久々きれたわ原発。フィクション小説で、雰囲気は掴んでいたけど、リアルでここまで酷いとはね。いままでの俺の無知にも、頭がくるけど、国民に周知しようしない、行政、マスコミも許すまじだ。少しくらい不便で貧しくてもいいじゃないか。終生かけて、原発を衰勢させるように断固反対したるわ。

原発の中で、今も、放水や施設の回復に尽力されている方々に、億兆の感謝と敬意を。

2011年3月11日金曜日

地震に恐怖した午後

仕事を終えて、自宅のボロアパートに帰り、いつものように食事をする。その後、10分ほど昼寝してから、パソコンに向かって、文章を二時間ほど書き、そろそろ終わろうかなと思っていたら、微かな揺れを体が感じた。「横揺れだな」と僅かに安堵するも、数瞬後には、あれよあれよと言う間に、身の危険を感じる程の揺れへ成長していき、俺は、窓を開けて、外に半ば身を乗り出して、辺りの様子を伺う。目に見える程、アパートがガタガタと揺れ動き、電線がブラブラと揺らめく。もはや、アパートの柱が、悲鳴を上げるように、軋みをあげ始めている。俺は、窓辺にコアラみたいに、しがみ付いて、いつでも飛び出せるようにしながら、情けない事に、ただ「死にたくない、早く終わってくれ頼むーーーー」と願って叫んだ。鴨長明の方丈記に、ある時大地震があった時、余震が続くなか、人々はただ地震よ収まってくれと願う記述があるが、その気持ちが良く分かった。ああいう時は、ただ祈るだけしか出来ないもののなんだな。随分長い時間、揺れ続いたけど、収まった隙を見て、路上に出る。付近の人々が、一様に驚いた顔を見合わせながら、今の揺れの事を話会っていた。何度か、大きく余震が続いたが、ある程度収まったので、部屋に入り被害を確認すると、棚の上に置かれていた、空気清浄機が床に落下。冷蔵庫の上に、不安定ながら置いてあったオーブンも落下。その上にあった、みそ汁の入った鍋も床に落下して、汁と白菜や油揚げの具を床にまき散らしている。ディスプレイとパソコンは無事。

沢山の人がなくなったようだ。
街角のテレビで、津波が町を飲み込んでいく様子を見て、戦慄した。
皆さんに無事を祈るとともに、亡くなった人たちの冥福を祈る。
そして、自らの無事を感謝した。

家族や友人知人、さらには昔の彼女にメールを出す。
普段、膜が張られたように、隠されている感情が露になったような気がする。
生きている事は、偉大な事だなあ。
余りにも自明な事なのに、すぐに分からなくなる、自身の愚かさが嫌になる。

2011年3月4日金曜日

小説の初稿を書き終えた

昨年の11月の半ばから書き始めた小説を、とりあえず書き終える事ができた。
原稿用紙にして340枚あまりの、中編小説程度の長さの物語。
今まで、何回か挑戦してきて、その度に頓挫してきた過去を持つ私が、まさか書き上げる事が出来ようとは。しかも、一応話しの筋が通っている物を......。
人類は、人は、いや漢は進化するものだなあ。

午前中の仕事を終えて、自宅の4畳半に帰り、ネットしながらご飯を食べて、15分ほど昼寝してから、ほぼ毎日、二時間ほどパソコンに向かう。調子のいい日、良くない日。頭はまったく、天気のようだ。
泥沼にはまったように、ぜんぜん進まない日もあるけれど、書く事は、楽しかった。
静かな部屋で、一人物語りを書くのは、どうやら性にあってるみたいだ。

これから、何度も書き直し、推敲し、ストーリーと文章を磨きあげていかねばならない。
何よりもルーチンワークが嫌いな俺にとって、本当の苦難は、これからであろう。
挿絵も描こうと思っている。だけど、絵描きとしての俺は、もう終わってしまったような気がしなくもない。
結論を急ぎすぎるのは、いけないが、情熱をあまり感じる事が出来ないでいる。