2011年3月26日土曜日

三年目のオールラウンド捌き

今春で掃除のバイトも三年目になる。飽きっぽい僕が三年も同じ職場で働く事になろうとは思わなんだ。清掃の仕事は、単調で頭もほぼ使う事もなく、色々と考えごとをしたり、物語を考えたりと以外と創作をする人にはおすすめの仕事です。変わり者が多い業界とも言われ、濃いキャラの人々の思わぬ行動や言動に、人類の凄さを思い知らされる毎日です。

そんな僕が日々磨いて来た、オールラウンドと呼ばれる雑巾に長い柄が付いた道具を使っている姿をお見せしましょう。芸術家の端くれとして、いかに美しく掃除するかを追求してきた、この三年の成果です。



忙しい時は、時間との戦い。いかに無駄無く効率的に、かつ体力を無駄に消費せずに動かないといけない。僕は、体小さい分、体力が少ないので、その分、体の自重を使った慣性を利用して動くのが得意。たとえ放射性粉塵だろうと、拭い去ってやるぜ。

2011年3月22日火曜日

雨降って地固まるか?

冬の厳しい寒さも、幾分和らいで、窓の外に、そそと降る雨の音に、思わず耳を傾ける午後。
ようやく、春だな。まってましたの春だ。

ここ十日ばかり、戦後最大の危機を迎えた日本は、いまだ混乱の最中にあるけど、それでも、人の人生は続き、日本の歴史は紡がれ続ける。

訳のわからん物質が降って遺伝子を破壊しようが、銀行からお金が降ろせないだろうが、史上最悪の政府を持とうだろうが、それでも、俺たちは、生きている。その事に感謝したいねえ。


俺もようやく、やりたい事が分かったんだ。生きられるだけ、作品を作ろう。

それに、またお祭りのような、グループ展がやりたくなったな。
アホみたいな奴がやりたいぜ。

また企画しよう。

ギャラリーであおうぜ!

2011年3月19日土曜日

デウス エクスマキナ 機械仕掛けの神

福島の原発が暴れ回っている。人の力を超えた、制御しがたい不可視の死神が、国土、いや地球を汚染しまくっている。まさか、技術先進国と言われた日本で、こんな事が起るなんて、、、。俺は今でも、なんだか夢を見ているみたいだ。十日前までは、何事もなく、むしろ何か、起きないかなと不遜な事すら考えていた程なのに、状況は、ブレーキの壊れた車で坂道を目隠しされて運転しているようだ。これほど短い間に、続けざまにトラブルが起るなんて、映画のシナリオでさえ真っ青な出来映えじゃないか。映画や夢であればどれだけ良かったのだろう。己の破壊願望を夢の中で結実したのみであったなら、俺の未成熟な部分の発露として、俺の中だけで、幕も引きえただろうに。だけど、実際は、夢を破るのは、体の内奥の芯すら揺さぶる大地の震えだ。余震にも慣れたとはいえ、ゆめゆめ油断は出来ない。東京湾の下で、アギトを研いでる嫌な奴がいるからだ。どうやら、久しぶりの国難の時期にさしかかっているらしい。何十年も、システムが覆い隠してきたものが、今回の地震で露になって剥き出しになったみたいだ。今回の事で、色々な事が変ると思うし、そのようにしなければ行けないだろう。安心してはいけない、想像力を駆使して、恐怖しなければならない。生き残って、やるべき事をやる為に。
それにしても、選挙というものが、場合によっては、これほどの惨禍を生み得るとは、まさに歴史を見た思いだ。
ここで、真の意味での機械仕掛けの神が出て来て、全てをさらっと解決してくれたらどれだけいいだろうか.....。

だけど、みんなも言っているように、やはり日本人には、信じられるものがあると思う。
俺も、今回の事で日本はよりよくなると思いたい。
経済発展や利潤追求だけでは、決して幸せにならないし、うまいやり方でもないと若い人たちも分かっていると思う。大きな家に住む事や、沢山の部下をこき使うよりも、多少不便であっても、自らの魂に合った生き方が出来る社会になるといい。長い時間がかかるだろうが、人類は、近代文明下において個人というものを社会の中で回遊させ始めたばかりだ。きっとうまい手を見つける事ができるだろう。
原発の稼動には、作業員に100パーセントの被ばくが伴うという。いま、この部屋を明るくともしている、電気でさえ、誰かが命を削って作られたものだ。大抵は、出稼ぎの原発にたいしての知識がない人たちで、絶対に安全だと、事前に洗脳に近い教育を受けるという。得られる日給は一万円程度。一日の作業時間は、一日に浴びる放射線量の基準内だから15分とかそんな短時間だから割がいいような印象をうけるけど、それを毎日続けていたら、将来、必ずガンになる。未来を食いつぶしているわけだ。そして、廃液は海に垂れ流し。子孫に処理を押し付ける高放射性物質は溜る一方。老朽化した原発は今も地震のプレートの真上で稼働中。情報隠蔽改竄は日常茶飯事。周辺地域の汚染と差別。ふう.....久々きれたわ原発。フィクション小説で、雰囲気は掴んでいたけど、リアルでここまで酷いとはね。いままでの俺の無知にも、頭がくるけど、国民に周知しようしない、行政、マスコミも許すまじだ。少しくらい不便で貧しくてもいいじゃないか。終生かけて、原発を衰勢させるように断固反対したるわ。

原発の中で、今も、放水や施設の回復に尽力されている方々に、億兆の感謝と敬意を。

2011年3月11日金曜日

地震に恐怖した午後

仕事を終えて、自宅のボロアパートに帰り、いつものように食事をする。その後、10分ほど昼寝してから、パソコンに向かって、文章を二時間ほど書き、そろそろ終わろうかなと思っていたら、微かな揺れを体が感じた。「横揺れだな」と僅かに安堵するも、数瞬後には、あれよあれよと言う間に、身の危険を感じる程の揺れへ成長していき、俺は、窓を開けて、外に半ば身を乗り出して、辺りの様子を伺う。目に見える程、アパートがガタガタと揺れ動き、電線がブラブラと揺らめく。もはや、アパートの柱が、悲鳴を上げるように、軋みをあげ始めている。俺は、窓辺にコアラみたいに、しがみ付いて、いつでも飛び出せるようにしながら、情けない事に、ただ「死にたくない、早く終わってくれ頼むーーーー」と願って叫んだ。鴨長明の方丈記に、ある時大地震があった時、余震が続くなか、人々はただ地震よ収まってくれと願う記述があるが、その気持ちが良く分かった。ああいう時は、ただ祈るだけしか出来ないもののなんだな。随分長い時間、揺れ続いたけど、収まった隙を見て、路上に出る。付近の人々が、一様に驚いた顔を見合わせながら、今の揺れの事を話会っていた。何度か、大きく余震が続いたが、ある程度収まったので、部屋に入り被害を確認すると、棚の上に置かれていた、空気清浄機が床に落下。冷蔵庫の上に、不安定ながら置いてあったオーブンも落下。その上にあった、みそ汁の入った鍋も床に落下して、汁と白菜や油揚げの具を床にまき散らしている。ディスプレイとパソコンは無事。

沢山の人がなくなったようだ。
街角のテレビで、津波が町を飲み込んでいく様子を見て、戦慄した。
皆さんに無事を祈るとともに、亡くなった人たちの冥福を祈る。
そして、自らの無事を感謝した。

家族や友人知人、さらには昔の彼女にメールを出す。
普段、膜が張られたように、隠されている感情が露になったような気がする。
生きている事は、偉大な事だなあ。
余りにも自明な事なのに、すぐに分からなくなる、自身の愚かさが嫌になる。

2011年3月4日金曜日

小説の初稿を書き終えた

昨年の11月の半ばから書き始めた小説を、とりあえず書き終える事ができた。
原稿用紙にして340枚あまりの、中編小説程度の長さの物語。
今まで、何回か挑戦してきて、その度に頓挫してきた過去を持つ私が、まさか書き上げる事が出来ようとは。しかも、一応話しの筋が通っている物を......。
人類は、人は、いや漢は進化するものだなあ。

午前中の仕事を終えて、自宅の4畳半に帰り、ネットしながらご飯を食べて、15分ほど昼寝してから、ほぼ毎日、二時間ほどパソコンに向かう。調子のいい日、良くない日。頭はまったく、天気のようだ。
泥沼にはまったように、ぜんぜん進まない日もあるけれど、書く事は、楽しかった。
静かな部屋で、一人物語りを書くのは、どうやら性にあってるみたいだ。

これから、何度も書き直し、推敲し、ストーリーと文章を磨きあげていかねばならない。
何よりもルーチンワークが嫌いな俺にとって、本当の苦難は、これからであろう。
挿絵も描こうと思っている。だけど、絵描きとしての俺は、もう終わってしまったような気がしなくもない。
結論を急ぎすぎるのは、いけないが、情熱をあまり感じる事が出来ないでいる。